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記事を書き終えて。

僕の半生を綴ったブログがこの前終わりました。よく書ききったなと。それも誰が誰にか分からない人宛に。

 

多分、僕は僕の障害の事を知って欲しかったのだと思う。その障害を乗り越え?もしくは抱え?ながら生きている事を知って欲しかっのだと思います。すごいねぇ、よく頑張ってるねぇ、って言われたいんだと思います。

 

初めはね、何か同じような境遇の人がいたらその支えにって思ってたんですけど、だんだんそうじゃなくなった。自分がこれから生きる選択をする上で大切な事を思い出すきっかけになりました。

 

僕は双極性障害です。

薬はしっかり飲んでます。ほとんど寛解と言ってもいいんじゃないかと思ってます。時々、朝起きるとほんと憂鬱になります。気分が悪いです。でも朝ごはんの用意とか掃除とかしてるとだんだんフラットな気分になります。そういうのは誰にでもある範囲内なのかなと思いますけど。

 

娘がね、本当にかわいい。嫌われたくないからつい甘やかすんですけど、この前絵本を破いたんです。

おいこら、と。

なにしとんねん。

破いたらあかんやんけ、ときつく怒りました。そしたら「ビエーン」と泣くんですよ。怒りすぎたかなと。

その破れた絵本をテープで貼り付けて直しました。

「もう破いたらあかんで。本は大事に読まなあかんで」って優しく言って絵本を渡したらバーンって!娘が投げつけました

おいこら!このガキ!

 

でもこのエピソードで物語の何かってのを思い出しました。

 

何かってのは何かに向かうベクトルの事だと思うんです。

 

僕は双極性障害です。

そうなんだね、大変だね。

では面白くもなんともない。

 

僕は双極性障害です。

で?それで?何する?何したいん?

の方がきっと面白くなると思うんですね。

 

少しづつ、面白いこと積み重ねていこうと思います。

 

元俳優が精神疾患になって社会復帰して結婚して子どもがいる話~子どもが生まれた話~

妻の妊娠がわかった時、あんまり実感が沸かなかったです。喜ばしいことなんですけど、え?俺どーするん?みたいな。

予定日の4日くらい前ですかね、深夜に電話がかかってきた、妻から。

「生まれるから早くきて」と。

僕は急いでタクシーに乗って病院まで行きました。

着いたらもうまもなく生まれる時で、おろおろしてたら生まれました。

ちっちゃいけど、めちゃかわいい。
なんやこの絶頂感。

ほんと、俺、パパになってええんやろか。
なってるけど、もう。

それから赤ちゃんのいる生活が始まりました。
あとはもう、いろんな人が知っている通り、大変だけど幸せな日々です。

時々、時々ですけどね
東京にいた頃を思い出します。俳優として食ってスターになっている自分。そういう自分を頭で描いてみます。でもそうはなれなかった。

イチゴを切って娘にあげるとすごく喜びます。それがもう嬉しくて嬉しくて。

ここまでこれて良かった。あの時がどの時がもはやわからなくなってしまったけど、立ち上がれて良かったと思います。

その要所要所で僕に力を分けてくれたのは家族であったり友人なのかなと。

ここまで読んでくれたあなた、ありがとう。
読んでくれたおかげで最後まで書く事ができました。

またどこかでお会いしましょう。

ではまた

元俳優が精神疾患になって社会復帰して結婚して子どもがいる話~今の仕事と結婚の話~

こんにちわ。

今日は今の仕事と結婚についてお話します。

今の仕事は精神疾患を持った人が通って過ごすサロンみたいなところの職員です。

ここではレクレーションをやったり、人と交流したりします。僕はレクを企画して運営したり、利用者さんの悩み事とか聞いてます。必要によっては関係機関と連携をとったりもします。

精神疾患を持つ人の悩みってあんまり特別な事っていうわけでもないと思ってます。誰だって悩むことと同じような事で彼らも悩んでいる気がします。僕はそれを聞いて、場合によってはアドバイスしたりもします。

多くの人はただ聞いて欲しい!ってなるのと同じように、ここでもそんな時はあります。

いろいろと心動かされながら、僕は働いています。

そこで今から結婚の話です。

今の奥さんと出会ったのは同じ会社の違う部署と一緒に飲み会をやった時です。もうね、ほんとありきたりというか、基本的な出会い方ですね。ひねりなし。

今まで俳優だの東京だのギャーギャー言ってましたけど、幸せは目の前にありました。

連絡先を交換して、週末デートしてって感じです。

プロポーズは船でしました。船に乗ってご飯を食べて「結婚」しようって言いました。

その前には、自分の障害についても話をしてます。そこは了解済み、というか了解してて欲しいんですけど。この話は僕にとってもハードルの高い事でした。伴侶がね、障害者って。当事者になるんですもの、ないことにはできない。

今の所平穏に暮らしています。

お金がなくて思うような式ができなかったんですけど、親戚を呼んで食事会をして、写真スタジオ行って写真撮って、なんとか形にしてきました。 

よかったです。

元俳優が精神疾患になって社会復帰して結婚して子どもがいる話~専門学校での生活~

今日は精神保健福祉士の資格を取得する為に通った専門学校についてお話します。

 

僕が通っていたのは夜間コースだったのでいろんな人がいました。

 

働きながら通う人、定年になって新しい事を始めようと思った人、大学卒業してすぐの人。女性の方が多かったですね。

 

僕にとっては久しぶりの座学もあり、楽しめました。法律とか条文関係の分野はなかなか頭に入らず苦労しました。でも、心理学とか病気の話はとても興味深かったです。

 

ただね、何もかも最初からスタート、かなり意気込んで通い始めたんですけどね、もうね、慣れがでて、だいぶ勉強はさぼってました。

 

夏を過ぎたあたりからめっちゃたるんでました。図書館とか喫茶店とか使ってなんと勉強してましたけど、無理、止められない、さぼりがとめられないわけ。

 

冬になって試験が迫ってきて、それでもあんまり勉強のペースは変わらなかったです。最低限覚えるところは覚えておこう、そんな感じです。

 

試験会場は物凄い人でした。今でも覚えています。大学受験をした僕にはなんだか懐かしい光景でした。

 

試験結果は合格でした。あんま手応えない感じで、やばいなぁ、高い授業料払ったのにやばいなぁと思っていたら結果合格です。

 

良かった。

 

それでさぁ就職活動ってところなんですが、実習先から「うちで働いてみないか?」と誘われ就職しました。

 

なんかこれ、似てません?俳優をやってた時と。あー似てるなと思いました。ふと思わずオファーが来る。

 

良かったです。

 

そして僕は働いています。社会復帰をしました。次回は今の仕事についてお話したいと思います。

 

元俳優が精神疾患になって社会復帰して結婚して子どもがいる話~フリーター生活に戻る~


とにかく就職しなければならない。

夢を諦めた以上、これからは現実を見ていかねばならないと思いました。

でも、やりたい仕事もなく、やれる仕事もなく、何をどうすればいいのか全くわかりませんでした。とりあえず履歴書を書いて応募するも、面接で落ちてました。東京で俳優をやってた事など、全く武器にならんもんなんですね。
焦る気持ちが先行していました。

それで何もしてないのに実家に住んであーじゃこーじゃしてるのは良くないと思いまして、アルバイトをはじめました。

プリンの箱詰め作業。

ひたすら流れてくるプリンを箱に入れ続ける仕事。こっちは病んでるのに、病みました。シンプルに辛い。
大卒なのに、俳優でギャラをもらった事もあるのに。箱詰め。なんでこんな事せなあかんのか。まぁ、自分で選んでやってましたが、辛い。

これまでバイトと言っても、目標があってそれに向かってるから頑張れた。けどその時は特にする事もなく無駄に焦るからプリンを詰めていただけで。きつかったです。
出勤の時に送迎バスがあったんですけど、いたたまれない空気、工場に連れてかれる、はぁ、もうね、叫びたくなる。

ほどなくプリンも辞めました。
それからいろんなバイトを転々としましたが、辞めた理由もそれぞれですが、自分のプライドの方が勝ってました。こんなんやってられねーよと。

これじゃいかん
イチからやり直そう
そう思って資格の本を見つけ
精神保健福祉士という資格に興味を持ちました。

仕事も面白そう。

ただね、これだけは言っておきたいんですが。僕が精神疾患になったからという理由で興味を持ったわけではないです。精神疾患の人の気持ちがわかるとかいうのもないです。全くないわけではないですが、多少は。

近くに専門学校があって、夜間で一年で資格を取る要件がもらえるんです。
いけるなと。これならできそうだと。

やりたい事はさておき、まずはできる事を始めよう。ちょうどいいハードルだと思いました。

そして僕は、専門学校に通う事になるのです。

元俳優が精神疾患になって社会復帰して結婚して子どもがいる話し~退院後~

閉鎖病棟から解放されて、無事に退院しました。実家に戻り、しばらくなにもしませんでした。

上京した時に二人の同級生とよく会ってたましたが、その二人も東京から神戸に帰っていました。3人でまた会ってよく話してました。

一人は結婚して子供がおり、一人は就職していました。僕だけなんだか取り残された気がしました。

僕の荷物はまだ東京に置いたまま。とにかく早く自分の荷物を引き上げたい。親はまた東京に行くことを反対していました。また病気が再発するかもって考えてたらしいです。

もう俳優はやらない、神戸で働く。そう親に話して両親と東京に行きました。

荷物をまとめ、車が出ていくのを見送った時、「あぁ、終わったんだな」と感じました。

実家で特になにもせず、ぼーっとすることが多かったです。そんな時に友人から夜な夜なバスケに誘ってくれたり、ご飯を食べに行ったりと、友人には感謝しています。
めっちゃ心配されてました。
気にかけてくれてた友人がいて、本当に感謝です。

僕は東京で有名になってスターになることばかり考えていました。でも実はそうじゃない、僕が元気にやっていればそれで良かったんです。大きな誤解をしていました。

それで少しずつ、体調も落ち着いてきました。
とにかくまず働かなくてはと思うようになり、仕事を探し始めました。

病状なのかどうかわかりませんでしたけど、退院してからすごい焦燥感がありました。早く働かないと、就職しないとって。今思えば1ヶ月2ヶ月なにもしなくてもどうってことはないんだと分かるんですけど。

めっちゃ焦るけど、特になにもしていない状態が続きました。1日中モヤモヤして、ぐるぐる思考から出れませんでした。


まぁとにかくまずはバイトしてみよう、そこからでしたね。

元俳優が精神疾患になって社会復帰して結婚して子どもがいる話~入院生活~

実家に帰った翌日、すぐに病院に行きました。

診察では兄が状況を先生に話していました。
僕は隣で「なんやねん、別に普通やぞ」と思っていました。

先生から「入院しますか?」と聞かれ、拒否しました。入院なんかしてられんと。入院する気なんぞないと。

それでとりえず病棟を見てみましょうという事になり、案内されました。

すごく暗い廊下を歩きました。

そこを抜けると、大きな建物がありました。
一通り案内されると先生が一言

「入院しますか?」と。

僕はなんとなく入院が必要でなんか治療せなあかんらしいと察知しまして、はいと答えました。

それからすぐベットに案内されて入院生活が始まりました。つまり閉鎖病棟です。

最初は薬で治療?なのかな、出る薬を飲んでました。するともう、体がだるくて、眠くて、何もする気が起きない。
ずっと寝てました。ひたすら寝てました。

すると先生が「ごめんごめん」と言って薬を変えてくれました。確かそのあたりだったと思います。

「ちょっと気分が上がってて、治療したらまた落ち着きますよ。双極性障害と言います」病名言われてもね、ぴんとこない。でも少しずつお落ち着いてきて、自分がいかに狂っていたかわかってくる感覚がありました。

ちょっと元気が出てきて、一日一回看護師さんと病院の周りを歩けるというので何回か散歩しました。元気が出てきて今度は退屈が襲ってきました。病棟の本は片っ端から読みました。部屋で筋トレもしてました。でも、時間が無限にありました。すること・・・ない。

たまに家族が面会に来てくれました。その時だけ売店のサンドイッチを食べさせてくれました。最高に美味かったです。
いやだって病院の食事がもうなんの味もない。まもなく退院するらしいおばちゃんからこそっと醤油をくれました。
醤油、最高です。なんでもかけて食べました。醤油に救われたと言っても過言ではない。

先生から「退院したいですか?」とよく聞かれました。最初は早く退院したいと言っていましたが、最後の方は「別にいいです、そちらのタイミングに任せます」とか言ってたような。

ほどなく三ヶ月経った頃、退院の話がでました。やっと閉鎖病棟が終わる。開放される。よかった。

でも、本当に辛い日々はこれからだったのです。